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★★スコーレ・マスターズ通信★★ 第19号
平成19年3月25日

■ 第4回 岐阜生きがい講座 
  ちょっときらめいて人生 

 東海・中部地区 小寺房征
 第4回岐阜生きがい講座は2月18日(日)、県民文化ホール未来館の大会議室で開催されました。前日からの雨も上がり、準備も手際よく、流れるように進み、さいさき良いスタートとなりました。受講者は10分前に八分どうり会場を埋め、5分前にはほぼいっぱいとなり、90名の参加がありました。スコーレの会員でもあり、第1回から連続参加していただいています浅井武司市議会議員の挨拶で講座の幕が上がりました。  

「家族とは」〜南極で学ぶ〜
 第1部は岐阜大学総合情報メディアセンター 田阪教授の「家族とは」〜南極で学ぶ〜と題しての講演。南極観測に参加した動機、南極での生活、自然環境の厳しさなどを映像、グラフを駆使して説明された。南極から日本まで一万四千キロも離れている、たとえ家族に不幸があっても途中で帰国できない。電子メール、テレビ電話で家族と交信することしかできないが、遠く離れていることによって家族との絆を強めたこと。南極での越冬は、学問とは、仲間とは、家族とは何かを考える機会を与えてくれた貴重な体験であったこと。など、臨場感あふれる講演であった。

子どもたちに伝えていくもの

 第2部は、永池会長の講話。「子どもたちに伝えていくもの」と題して、経済的に豊になった現在、幸福のとらえ方が間違っているのではないか。幸福というものを経済的な価値観から考えている。生活レベルは向上したが、かっての子ども達の目の輝きはどこへいったのか、豊かになって人間が弱くなってきている。また尊敬や礼儀を知らない、知識を持った野蛮人を育てている。
 今、親自身が、この世の中に頭を下げる対象を持たない限り、子ども達は変わらない。親が美しいものを見る、神聖なものに頭を下げる、愛を持って生きることが、親の役目ではないかと力説され、聴衆を圧倒した。
 次回の講演会にも参加したいとの声がたくさん聞かれ、この講座を開催した努力が報われた思いでした。スコーレマスターズも地域に浸透しつつあり、今は、地中に力強い根を張っているところ、この中からたくさんの協力者が出てくる日は近い。


シニア研修:
 1月21日(日)講義 :岡 本 一 誠
  『人間関係論〜私のコミュニケーション術〜』


 掲題の表題で岡本マスターズ広報委員長が自身の仕事、お客様相談センターにおける日々の電話受け業務の経験から次の内容の講義が行われた。

聞くことと感謝の言
 相談センターでは、お客様のご意見を聞いて、その場で問題を具体的に解決することもありますが、本来の解決は問題発生場所の夫々の担当が行います。しかし、電話を受けてそれより大切なことに気付きます。最初の電話の受け手である我々の場所で、先方の申し出を時間をかけて、丁寧に聞くことで問題点の多くの部分が軽減されていくのです。そして、電話主の言い分を整理し、現場に対応させることを約束して電話をおきます。最後に「お電話ありがとうございました。」と付け加えます。あるいは最初からお電話ありがとうとございます。○○の岡本でございますと言います。申し出の用件を整理してみれば、処理すべき点は多くはないのです。用件の多くは怒りや疑問なのです。電話でのやり取りの中で私たちは会長がよく言われる「オアシスハサイコオ」の言葉を多用していることに気付きます。おはようございます。ありがとうございます。失礼いたしました。すみませんでした。させていただきます。等々。
 何故人は感謝の言葉や前向きの言葉に心を和らげるのであろうか。
 そのことを説明できそうな論拠として、講師は@江本 勝氏の主宰する会社I・H・Mが作成したビデオ「水からの伝言」(講談社刊)を投影、A高田明和氏(浜松医科大学)の著書「脳と心に効く言葉」(リヨン社刊)から「ミラー細胞」について説明。

水はよいものを感じ取る
 江本氏のビデオでは、水に良い音楽を聞かせたり、良い言葉を聞かせると綺麗な結晶を作る。清浄な水もまた綺麗な結晶を作る。ところが、ヘビーメタル音楽や悪口雑言を聞かせた水は結晶を作らない。良い音楽を聞かせた牛は良い乳を出し、良い音楽を聞かせた果物は良い実をならせる。人間の体は70%を水が占めているからには、人間も良い音楽、良い言葉によって良い心、良い方向へ向かう。

高田氏の著書から
 サルや人には脳内にミラー(鏡)細胞がある。何かの言葉を聞いて感動すると、その言葉を思い出すことでこのミラー細胞が反応する。もし私たちに希望を与える言葉なら、私たちはその言葉を聞くことで希望をもち、楽しくなる。また夢を与えるような言葉を聞くと自分も同じような夢をもつことができる。その言葉が強い感動を生んだ時にミラー細胞が活動し、その後この言葉を思い出すと言葉の意図するような感情、意欲、希望が生まれる。そうなると当然私たちは元気になり、自信ももてるようになる。つまり脳が変わり意識が変わってゆくことが解明されてきている。最近の研究がある程度解明したこのような状況からも、日常、習慣として快感覚の言葉をかけたり、ぐち・泣き言を言わない、人の喜びをわが喜びとする、という行動パターンがなぜ良いのかを納得することが出来る。

2月18日(日)講義:  長 久 保 定 夫
  『スコーレから学ぶ人生の生き方』

 長久保マスターズ副代表幹事自身の略歴とレジメを資料として提示。約50分間、自身の経験や身の回りに起こった事件を取り上げて、スコーレから学ぶ生き方の実践について講義。

事例1 自然の美しさに感動する
 自動車整備工場の責任者として、トラブル中のユーザーと話し合っている時、その方がお嬢様と日本人があまり行かないイギリスの田舎を旅行した話をされました。私は「こころの添木」のP237「自然の美しさに感動する」に書かれているイギリスの画家ターナのお話やターナから発展し、アーサー王や円卓の騎士にまで、上っ面だけであったかもしれないが話をすることになりました。トラブルの話はそっちのけで話が弾み、「貴方の会社の人からターナやアーサー王の話が聞けるとは思っても見なかった」との言葉をいただき、最後には無事解決したことがあります。
「こころの添木」のP214で会長は「人は自分を正すより環境をなんとかしようとするものです。だが、それはたいへん厄介な問題を生む。何故なら、向うもこちらを変えようと思っているからです。お互いに相手を変えようとするところからは友好的な関りは成り立ちません。」と著しています。

事例2 お金や物を活かして使う
 社会主義体制崩壊の頃、ある東欧の国の市民を助けたいと会社のオーナーが発案、その国の特産品である羽毛で布団を作り、販売することになった。そんなに高い物は買えないと言う従業員が大多数でしたが、私は素直にオーナーの言葉を信じました。しかし、500人以上いた社員で自分自身で買ったのは私一人でした。他の人は殆どを出入業者等へ押し付けて売ったのです。これはどういうことかと私なりの解釈ですが、当時の日本人の心象を端的に表したものと思います。自己中心的で物の価値をお金で観る。損得で物事を判断する。相手の立場で見ない、バブル経済当時の日本人の姿です。
「こだまする命」のP220で会長が書かれています。
「日本という国は、自分達だけでは生きていけない。世界の国々を大切にし、仲良くしていかなければ存在すら危うい国です。あらゆる努力を惜しまず、世界に理解されるように、また、世界の為に日本は何が出来るかを常に考えて、それを実践しなければなりません。」

事例3 弱者を助ける、いたわる、手を差し延べ
 
ある時、電車の中で障害のある娘さんが突然、体を強ばらせ座席からずり落ちました。その時、近くの2人のお嬢さんと2人の男性が立ち上がり、娘さんを抱え、適切な指示をお母さんやお嬢さんに与えて、次の駅で皆で娘さんを抱えて降りました。私は何も出来ませんでしたが、私自身助けてあげたいと言う気持になったこと、そして回りに損得を考えずに行動する方が沢山いることで、日本もまだまだ捨てたものではないと、思わず拍手をしたくなりました。
またある時、電車内で私の娘が孫を抱いて立っていました。近くの座席が空いたら、30歳ぐらいの若者がその席へ突進したのです。私はあっけに取られ、「体調がすぐれないので座りたかったのだ」と思うことにしました。しかし、その若者はただ口を半開きにし、キョロキョロ廻りに視線を巡らすだけでした。娘親子を見ても何の感情を表しません。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、感動したこと、喜んだこと、喜ばれたこと、親切にしたこと、されたこと、辛い目にあったこと、幸福感を味わったこと、およそ、感情を表す体験をしたことがない悲しい人生を歩んでいるのではないか?と同情することにしました。私も若い頃、怖い物知らずで、世の中は自分中心に動いている、自分が一番正しいのだと言う思いで生活をしていました。先輩、上司には突っ張り、我儘な生活をしていました。そんな私が今、マスターズの皆さんの前でお話させて頂いている。20年前スコーレに出会って、沢山の感動と勇気を私に与えてくれた永池会長を始め、マスターズを含む会員の皆さんのお陰で、傍目には何ら変わっていないと言われるかも知れませんが、私は良いほうへ変わったと自分では思っています。
 最後に「生命への覚醒」を唱和させていただき、講義を終わります。 

■ 人生学講座
連 載
戦後の日本を生きて @

八王子地区 村下三郎


就  職

 昭和26年、18歳での就職試験だった。時代的には求人関係もやや売り手市場で、追い風が吹き始めた頃で助かった次第だ。それは昭和25年頃に朝鮮動乱が勃発し、景気は上昇の一途となりつつあったからであった。歴史は繰り返すということか、どこかで悲惨な戦争があるとその軍需や特需で景気は浮揚するという構図は今も昔も変わらない。やはり戦争のおかげで私も恩恵を受けたかと思うとやりきれないところだ。
 軍需は勿論のこと産業を刺激し活発化させる側面があるが、戦場の朝鮮半島から多くの米兵が交代で引き揚げる際に日本に立ち寄って、主にカメラなどの購入等でにぎわい、日本でドルを落としたことも一因であった。
 就職試験は9月から始まり、私はある金融機関を受験したところすんなり校内第一号で合格となった。他に志望先もあったものの、一つ決まれば他の生徒の機会を失わせるような複数受験はご法度という不文律がその頃の学校にはあった。9月早々の就職決定で、以降は呑気に勉強できたことは有難かった。それでも農家の三男坊でもあり農作業の手伝いは年中続いたものだ。 


電話・洋食・療養
 翌4月入社となり、勤務先は八重洲口支店勤務と決まった。田舎出の私がいきなり東京のど真中に勤めることとなり、それは大変なカルチャーショックだった。例えば電話一つでも困った。勿論当時自宅などに電話は無く、一般家庭にも電話は普及してなかったと思う。そのような中、一番電話を多く使う為替課に配属となってしまった。毎日が汗びっしょりの対応が続いたものだ。電話も慣れればよく聞き取れるが初めはよく耳に入ってこない状態だった。また、ある時私の入社歓迎会があり、ステーキハウスのような所で開催されたと思う。ところが私はナイフもフォークも初めてでテーブルマナーも全く知らず大変面食らった。あの時の冷や汗は今でも目に浮かんでくる。一着の紺の背広が会社から支給されて助かった。この一着で相当期間過ごしたのも思い出である。通勤は毎日満員電車で楽ではなかった。二年後とうとうそのせいか慢性大腸カタルということで半年ほど休暇療養ということなってしまった。


寮 生 活
 私は就職面接で、少しでも入社条件面で有利かと思い自宅から通勤可能である旨回答してしまっていたのであるが、回復後やはり通勤は無理と判断され、独身寮に入れてもらった。これも当時は住宅事情も悪く独身寮も少なかったので入寮も難しかったのである。入寮した独身寮は比較的少人数で、文京区の護国寺の近くにあった。寮生活は先輩がやや多く、何かとお世話いただいた。ハイキングやコーラスが盛んで、まあ青春を謳歌した時代といえる。多士済々で振り返ればその後の私の企業内活動にとって人脈面では大きかったと思う。但し、知らぬ間に私はその寮の三奇人の一人ということになってしまった。何で、どうしてかは読者の想像に委ねたい。もっともこの三奇人の他に二偏屈という人も出来てほっとした覚えがある。この命名者連中の一人は副頭取になった。これはほんのお笑いの一つで、三奇人とてそんなに深刻な話ではなかったと思う。
 独身寮には舎監と言う方が必ず配置されて一緒に生活していた。ご年配で旧満鉄社員とか軍人あがりの方々が多く、私の寮の舎監は元海軍将校であった。なかなか厳しい人であったが私は大変に可愛がってもらった。よく、囲碁などに付合ったせいかもしれない。囲碁は入社後すぐ上司や支店長が手ほどきしてくれたものだった。考えれば、いまだ良き時代だったと述懐される。
 たしかこの後高度成長に伴うモーレツ社員時代が到来したのである。 (つづく)


■ 事務局便り

「早朝研修」年間受賞者に
マスターズ会員が年々増加!!

 早朝研修表彰は、皆勤賞、精勤賞(年355日出席)、努力賞(年間300日以上出席)の3つのカテゴリーで表彰されます。昨年はマスターズ会員の受賞が過去最高でした。
 受賞者は16年が3名、17年が7名、そして18年が10名ですから、早朝研修への男性会員の参加が年々その厚みを増していることを証明しています。
■精勤賞・小林晃(八王子),守川俊信(富山)
■努力賞・長久保定夫(城西),相澤一男(町相)
 秋場進(八王子),米村陽(八王子),大槻博(多摩)
 笹井喜郎(富山),近藤悠(石川),中澤利治(北海道) 以上10名
            (金井 繁)

マスターズのホームページを
文科省が注目

 文部科学省の生涯学習総合雑誌「マナビィ」から生涯学習に意欲的に取り組む社会教育団体を紹介するための取材依頼が協会本部にありました。取材の内容は設立主旨や活動内容が中心ですが、協会の活動と並行してマスターズ活動についての取材も重点に置かれていました。どうも協会とマスターズを同格の組織と誤解していた様子。確認したところ「両者のHPを比較してマスターズのほうが活発に活動しているように見えたので」という回答でした。動画配信やブログ開設など、協会のHPを凌ぐ内容ですから当然の反応だったかも知れません。
 協会本部もHPの見直しを検討中とのことですが、担当の藤田幹事は更に一歩先を行くHP作りに意気込んでいます。取材内容は「マナビィ」2月号に掲載されました。
           (小俣富雄)


青朱白玄・春夏秋冬

 築地本願寺で毎月1回、昼休みの時間帯にパイプオルガンのコンサートが開かれている。寺院にパイプオルガンは意外に感じられるが、これがなかなかのもので回を重ねるごとに聴衆は増えてきている。最近、町田市内にあるお寺でもジャズの演奏会があったと聞いている。また、ふた昔ほど前、ウィスキーが鮨屋に出されるようになった。ウィスキーメーカーの戦略もあったが、かなりの意外性をもって受け入れられた。この意外性のなかでウィスキーは居酒屋などにも置かれるようになり、和食の間で定着化した。
 一方、ある催物が開催された折、出席者名簿が配布された。名簿に記載された面々の履歴・肩書は錚々たるもので、主催者の存在感が十分うかがわれるものであった。そのような中で出席者の一人が冗談交じりに「一会社員では名簿に載らないですよね」と一言。言われてみれば、催物の趣旨などからみると履歴・肩書などは二の次でいいように思われたのと同時に、名簿にも格差があるのだと意外性を感じた。
 最近、この「意外」と感じることが多くなったような気がする。
           (梶田健二)


■ 編集後記
 私事で誠に恐縮ですが、本年4月より中国の広州に転勤となります。短い間でしたがスコーレ・マスターズ通信の編集作業をさせていただいた事を心より感謝しております。編集作業を通してマスターズ活動の一端を担い、活動への理解もより一層深まりました。これからの私の海外勤務に際しては会長の御著書「魂へのおもいやり」にある良寛禅師の言葉『君看雙眼色 不語以無憂』を心に念じていこうと思っています。現地の人々・従業員や同僚の考えや思いを素直に受け入れ理解して行動していきたいと思っています。これまで皆様に御支援頂きまして誠にありがとうございました。
        (今野洋一)


「当面の行事予定」 マスターズ事務局
■4月〜9月  シニア・ミドル上期研修 (協会研修室)
■毎月初旬  メールニュース配信 (IT委員会)
■5月中旬  マスターズ通信第20号発行予定 (広報委員会)
■6月16,17日 会員総会兼宿泊研修 (箱根湯本ホテル)
■7月21日  首都圏「生きがい講座」 (渋谷シダックスホール)
■7月下旬  マスターズ通信第21号発行予定 (広報委員会)





編 集:社団法人 スコーレ家庭教育振興協会
    スコーレ・マスターズ 広報委員会
発行人:小俣富雄
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TEL : 042-728-7948
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