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★★スコーレ・マスターズ通信★★ 第20号
平成19年5月25日

■ 地区交流会各地で開催
 
永池会長が各地へ出張される機会に、地元で交流会が開催されています。各地の報告を掲載します。
 北 陸
 富山の松川べりの桜も膨らみ始めた3月23日(金)、永池会長をお迎えして、北陸マスターズの交流会を、いきいき亭にて開催。石川の近藤地区リーダーと富山8名の参加。富山の名産「ホタルイカ」や「アナゴの幼魚」など、山海の味に舌鼓を打ち、和やかな雰囲気で会食となりました。会長の幼少の頃の北海道でのニシンの味が大変美味しかったことから、北海道と富山の北前船の交易等に話題が広がりました。
 昔の食生活は今より格段に乏しかったがそれぞれに工夫を凝らし、暮らしの中で知恵が大いに活かされていたこと。現代の食生活は、お金を出せばあらゆるものが手軽に手に入り、工夫することや知恵を働かせることがおろそかになっていること。食に限らず、多くのことにその影響が及んでいること。日々刻々と教育の面や、家庭生活の面で多くの問題が起きている等の会長の言葉を通して、これからは、男性、父親の出番も大切になってきていることを強く感じました。
 スコーレの中でもマスターズの役割、必要性がますます重視されていくことに、共感しながら、最後には、参加者全員心一つに19年度マスターズの総会への出席を誓い閉会となりました。富山のおいしい酒と魚、そして話に、皆楽しく酔いました。ありがとうございました。   (報告:富山 笹井喜郎)


広 島
 去る4月12日(木)、会長をお迎えして、広島で初めてマスターズ交流会を開催しました。午後6時の定刻前、早々とホテルグランヴィアに8名が揃いました。
会長は着座されるや否や「どうして落選したの?」とは、このたびの統一地方選挙に始めて県議会に立候補したNさんに問いかけられた言葉です。Nさんのお母様は元衆議院議員、Nさんご夫妻は、今年
1月28日女児誕生、若干38歳、奥さんは子育て講座の熱心な受講生とあって、地元の若手は熱く応援していましたから少々がっかりです。会長は具体的に今後のご指導をされました。
 こうした雰囲気の中で会は盛り上がり、愉しい酒を酌み交わしました。また、6月のマスターズ宿泊研修参加予定者も現在5人となりました。仕事、出張、と忙しい現役の人たちが中心ですから画期的なことです。今後の中国地区のマスターズの見通しは明るく期待できそうです。  (報告:広島 横田将良)


長 野
 第3回長野ブロック地区交流会を 4月23日(月)午後7時より、遠路お越しいただいた永池会長、小俣マスターズ副代表幹事を加え、総勢15名で開催。開会宣言後、小俣氏からマスターズの今後の展望と、6月開催の総会参加のお誘いいただき、全員で気持ちも新たにしました。
 次に会長講話を拝聴。松下幸之助翁の企業経営理念が人間観、宇宙観に根ざしている事など、30分がとても短く感じられる講話でした。
 そして、参加者の自己紹介・近況報告が行われ、全員の報告が終わり和んだ雰囲気の中で“乾杯!”。料理に舌鼓を打ちながらの歓談となり、1時間余りで閉会の時が迫り、時間を惜しみつつ、最後に全員で記念撮影をして散会となりました。
 日々の仕事に追われながらのマスターズ活動への参加は、きちんとしたスケジュール管理と、活動の質にこだわる姿勢が大切と感じ、これからの長野ブロックの発展のために自分の役割は何か、そして 何が出来るのかを考え、次回、次々回と、回を重ねる毎に着実な会員増と、更に密度の濃い活動が出来ることを願いつつ、微力ながら頑張ります。有難うございました。    



シニア研修:
 3月11日(日)講義:  山 下 勝 也
  『佐世保・小6女児殺人事件』から学ぶもの


 2004年6月の佐世保・小6女児殺人事件(教室で級友を刃物で殺害した事件)の資料として長崎家裁佐世保支部の決定(要旨)と読売新聞社説(下掲)を挙げて講義。

事件の背景にあるもの
  昨年の11月12日(日)の講義の中で、少年院の教官の分析として、少年犯罪の根底にあるものは、@親子関係であり、少年に原因があるというより家庭にその原因があること、A親子の間に信頼関係を築けなかったことに原因があると指摘されていることを述べたが、今回の事例の背景にも同様なことが言える。
 長崎家裁佐世保支部の決定の内容については読売新聞社説で概要をつかめる。即ち、決定が強く問いかけたのは女児の両親の「育て方」である。また、1997年の神戸市の連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)でも、2003年の12歳の少年による長崎市の幼稚園児殺害事件(ビルの屋上から園児を投げ下ろした事件)でも、やはり家庭における育て方の問題が指摘されたと論じている。
連続児童殺傷事件の少年の父母が綴った「少年A」この子を生んで…(文春文庫)を読むと、少年Aの下に弟が2人いて、早くから自立を急いでいた背景がある。母親を憎み、祖母を思慕する傾向があったことから祖母の死をきっかけに動物を傷つけるようになり、そして弟の友人を殺害するに至っている。


親子の絆の回復を
 講師は会長の著書 「今日、“いのち”の扉をひらく」のP56〜60を引用。
@子どもが悲しいときに共に悲しみ、子どもがうれしいときに共に喜んであげる。そんな子どもの心の動きに素直に共感する親の対応が積み重ねられ、はじめて親子の絆がつくられていく。
A子どもが泣くのは、無意味なことではない。子どもは、親がそれに対して的確にこたえてくれる態度を見て、自分を主張することの大切さを学ぶ。と同時に、人生とか人間に対しての基本的な信頼感を獲得することができる。自分がきちんと主張をすれば、周りはそれにこたえてくれ、かつ、自分はそうされるに相応しい人間なのだという、自分及び他人に対する信頼感が、幼少期に形成される。
Bかつて、"母なるもの″が欠落した保育所で育てられた子どもが、自分の気に入らないことがあると発作的に壁に頭をぶつけたり、自分の腕をかんだりする奇矯な、心の冷たい性格の人間となり、やがて犯罪者への道を辿ったという教訓がある。

【会 長 講 話】
 昭和63年の幼女殺害事件の宮崎勉は祖母が亡くなってからおかしくなったこと、同年発生した女子高生コンクリート詰め殺人事件の当時少年たちの中にも祖母が亡くなったことが事件への入口となった者がいることは何を物語るか。
 理屈では子どもを育てられない。子どもの心へ栄養を補給することが必要。そのためには生命への敬虔さを思い起こし、さらには自分の生命への共感、子どもへの共感を育てていかなければならない。

平成2004年9月16日読売新聞社説
「育て方」を問いかけた家裁決定

 長崎県佐世保市の小学校で今年六月、六年生の十一歳の女児が同級生の女児を殺害した事件で、長崎家裁佐世保支部は加害者の女児を児童自立支援施設に送る保護処分を決定した。
 十四歳未満の少年は、刑事責任を問われない。矯正教育の体制が整備された少年院にも収容できない。今回の決定は、こうした現行法の制約の中では、もっとも重い処分である。
 女児はまだ、友人の命を奪ったことの重大性とその家族の悲しみを実感できないでいるという。決定では「普通の感情や情動を持ち、意思を伝達する方法を習得させることが必要だ」としている。
 二年間の強制的措置を施すが、豊かな感情をはぐくむ教育は容易ではない。時間をかけた丹念な訓練が必要だ。
 親友同士だったのに、まだ幼さの残る女児が、なぜ、こんな残忍な事件を起こさなければならなかったのか。だれもが抱く疑問である。
 亡くなった女児の父親も、家裁での意見陳述で「女児の心の奥底で何があったか知りたい」と、持って行き場のない無念さを語っていた。
 加害者の女児については、約三か月に及ぶ留置中、精神鑑定も行われた。家裁の決定からは、女児の心の闇に迫ろうとした努力の跡が見られる。
 殺害を決意した動機は、交換ノートやインターネットのホームページへの書き込みをめぐる被害者とのトラブルだったという。だが、家裁によると、被害者には特段の落ち度はなかった。女児には精神障害と診断される程度のものもなかった、とも指摘した。
 その上で、決定が強く問いかけたのは女児の両親の「育て方」である。
 女児は幼児期、泣くことが少なく、おんぶや抱っこをせがんで甘えることもなかった。そのことを両親は「育てやすい子」と受け取り、女児に積極的にかかわることをしなかった。
 両親の女児に対する目配りが十分でなかった。このことが「女児の抱えている困難は根深く、内面的に極めて幼い」というような、情緒に乏しく、対人関係や社会性も未発達のままで成長することにつながったという。
 一九九七年の神戸市の連続児童殺傷事件でも、昨年の十二歳の少年による長崎市の幼稚園児殺害事件でも、やはり家庭における育て方の問題が指摘された。
 今回の決定で真相がすべて解明されたとは言い切れない。だが、低年齢化する少年事件を防ぐためには、子供に対する親のかかわり方も重要だ。それを、改めて教えた決定とも言えるだろう。

■ 人生学講座
連 載
戦後の日本を生きて A

八王子地区 村下三郎


転  勤

 サラリーマンに転勤はつきものといわれる。まず例外はない。私は転勤は農作物の転作のようなものだと思っている。その作物の好きな養分を3年、5年と吸い取ったらその土地は枯れる。だから土地を変えるのは当然だろう。私も多くの転勤を経験したが、3回ほどやや特殊なものがあった。
 そのうち2回は、新規支店開設の開設準備委員を務めたことだ。予め開店3ヶ月位前に人事発令されて開店まで担当エリアを開拓する仕事だ。私の場合、出身地の関係か2店共に当時発展の著しい東京の三多摩地区であった。ローラー作戦と称して個人の家、企業を問わず軒並み訪問する。スコーレの頒布と全く同じことである。これもなかなか大変であるが、無から有へとやりがいのある仕事であった。その後も私は営業の仕事が多かった。ある時上司から「良い報告は急ぐことはない、悪い報告だけ即刻されたい」と叱咤された。毎日の仕事には業務日誌がある。何も良い報告や手柄等はこの日誌に記載すれば十分であると。一方顧客からの苦情や失敗談等は早く伝えてくれとのことだった。これは爾後肝に銘じて励行し、勿論後輩諸君にもこの教訓は伝達していった。皆さんも十分ご承知のビジネスの常道であることに間違いない。


進 駐 軍
 もう一つの記憶に残る転勤は被合併金融機関のある支店への転勤だった。子会社的存在であったある中小金融機関を会社が吸収合併した。これも先方の労働組合などの反対でもめた後の決定だった。この支店には既に支店長と役職者計2名が先行していて平社員では私が初めての転勤だった。
そんな中でちょっと耳に入ったのは、「また進駐軍が1人やってきた」とのささやきだった。また、しばらくして若手社員の話を聞いていると「気に入らぬ上司などは従業員懇親旅行の夜など布団蒸しにされる」とのことだった。私も大変なところに来たものだと一応は覚悟を決めていた。私は平常心で且つ胸襟を開いての対応を心がけたのである。しかし、お酒の付き合いはともかく、仕事の上では何らかの実績を示すことも必要で少なからず骨が折れたものである。このような心がけの結果か、半年足らずのうちには皆とよく融合できるようになり、当初の心配は杞憂に終わったのである。


出  向
 出向には若いとき会社の都合等で修行を兼ねて他産業に出向しまた戻ってくるケースと、ある年齢が来ての第2の職場としてのそれがある。私の場合勿論後者のケースでの出向だ。出向先は関連企業ということで、これは取引先等他産業に出向するよりは良いとされていた。骨惜しみはいけないが、やはり他人の飯で苦労するよりはということで関連企業への出向を希望する者も多かったが、実際はなかなか難しかった。その点私はラッキーであったということか。所謂ノンバンクといわれるもので、銀行が本業での融資取引などが難しい先を取り扱ったり、売掛債権を買い取ったりするアメリカから導入の、当時では新手法のファクタリング業というものだった。面白い仕事で業績は年々倍増のペースだった。しかし、これも例のバブルの崩壊で大変厳しいショックが待っていた。この新しい仕事もそんなに甘いものではなかった。相当の不良債権が発生した。その後親銀行の支援で現在はまた好業績と聞いている。

スコーレとの出会い
スコーレとの出会いは私が出向前の頃だと思う。ご多分に漏れず私の場合も妻が先行してのスコーレ入門で、まあ、何か女房が早朝からどこかへ行っているくらいに思っていた。ただ、嬉々として通っているようで何だろうと思った次第だ。
私に対する態度も何か変わったようだった。その点私は妻のスコーレ活動を決して妨害などはしなかったと思う。冬場になり雨降りの時など車で送ったりしたが会場へ顔を出したのはかなり経ってからだ。但し、私の入会手続きはとっくに済んでいたようだ。八王子会場は当時年配の女性が多く色々とご指導いただいた。下を向いていたら顔を上げてよく皆さんの話を聞きなさいと諭された。
 前の席が空いたら即刻詰めなさいと肩を押されたものだ。随分うるさいおばあちゃんだと思ったが今考えれば当然のことである。
 話はそれたが、本論に戻そう。私はもっと早くスコーレにご縁を頂いていればと思ったものだ。今まで如何に傲慢できたか隣近所にもきちんと挨拶が出来ていたかと猛省した次第だ。
 その後は、ずっと早朝研修は続いている。この10数年は皆勤だ。但し、これは家にいるときは皆勤と言うことで、色々と仲間との旅行も多いのでその時は早朝研修も休まざるを得ない。まあそれでも丈夫な身体をいただき両親に改めて感謝しているこの頃である。

地域コミュニケーションとのかかわり方
関連企業も65歳で定年だ。丁度その時期、私どもの町内にも老人クラブ結成の話が出ていて、数少ない土着の人間として私も協力をせざるを得ない状況となってしまった。仕方なく初代会長を引き受け、今や8年も会長を続けている。会員は60歳から90歳と幅広い。よく知人などから世話が焼けるでしょうといわれる。事実その通りで、なかなか大変だ。しかしこれも浮世の義理と感じている。いずれはこっちがお世話に預かる順番だ。年寄り仲間の人たちには園芸や野菜作りに精出す人も多く私も同様に頑張っている。育てた草木もいとおしく、また作った野菜はとても美味しいものだ。
 毎日の早朝研修は、やはりやる気と活力が湧いてくる。お陰様で多忙な今日一日を有意義に過ごせることは有り難い。
    (完)

■ 事務局便り

長久保副代表幹事「グレイセス」で講演

 長久保マスターズ副代表幹事が4月17日(火)、八王子で開催された、60歳以上の熟年女性の会、「グレイセス」の集まりで講師を務め次の内容の講義を行った。参加者は25名。
 @相手の気持ちになって話を聞く。
 A自然の美しさに感動する。
 会長の著書「こころの添木」からの引用をしながら、自身の多くの体験を交えての具体的な講話が厚みと説得力を与えるものとなった。
(次号人生学講座に掲載予定)


青朱白玄・春夏秋冬

 言葉づかいなどは時代によって変化してきているが、最近物を食べる時、箸を顔の正面に向けて持っていき、手のひらを上に向けた食べ方がテレビ番組やコマーシャルなどで目につくようになった。フォークやスプーンではあるまいしと、迷い箸や寄せ箸また箸の持ち方などと同様気になり、ついつい小言幸兵衛になってしまう。ファンとまでは言わないが、好感をもっていた若くはない女性タレントがそのような食べ方をしていたので、今は引いている。当人の問題ではあるのだが、撮影の時、ディレクターなど周りの誰かが注意もしくは配慮しないのであろうかと思う。
 箸の持ち方について、学校給食の副読本の中で図解入りで教えていたのを見た事があるが、家庭で教える事なのか学校で教える事なのかの議論があった。核家族化が進んだことにより、家庭の中で教える人が少なくなったと言うと過言かも知れないが、教えてくれる人が近くにいるといないとではやはり違うような気がする。
 人類の進化の過程で三世代が共に生活する様式が作られ、様々な文化の継承がその三世代の中でなされ、その先に現在の我々がある。とすれば、あらためて三世代が共に生活することの意義について考えるのもいいのではないか。
                (梶田健二)


■ 編集後記
 1年前から肘痛に悩まされたが、最近はだいぶ良くなり、通常のことが出来るようになった。またこの2〜3年は持病である喘息の発作もおきず、あの苦しみからも解放されている。月に1回、チェックを兼ねて薬を貰いに病院に通っているが、普段忘れている普通の生活を送れることの有り難さをつくづく感じている。
(栗山榮治)


「当面の行事予定」 マスターズ事務局
■4月〜9月  シニア・ミドル上期研修(協会研修室)
■毎月初旬  メールニュース配信  (IT委員会)
■5月中旬   マスターズ通信第20号発行予定 (広報委員会)
■6月16,17日 会員総会兼宿泊研修 (箱根湯本ホテル)
■7月21日   首都圏「生きがい講座」 (渋谷シダックスホール)
■7月下旬  マスターズ通信第21号発行予定 (広報委員会)




編 集:社団法人 スコーレ家庭教育振興協会
    スコーレ・マスターズ 広報委員会
発行人:小俣富雄
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